最近…
宇宙物理学や量子力学に興味あります!
ほとんど何言ってんのか分からんけど、おもろいです…!
皆様…
いかがお過ごしでしょうか…?
本日、お忙しい中…
貴重なお時間を割いて下さいました、殿方様…
本当にありがとうございました!
めくりめく、濃厚なお時間…
終始、うっとりしてしまいました…!
このような者に、たくさん優しくして下さり…
本当にありがとうございます…泣
お別れの刻は、切なく寂しいですが…
また、お会い出来る日を信じて…!
ずっとずっと、お待ちしております…!
前回の続き…
幕末維新の京都旅、最終日…
伏見まで、少し足を延ばしまして…
「鳥羽伏見の戦い」の古戦場巡りにまいります!
【4日目】
ホテルチェックアウト
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↓(徒歩5分)
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京都駅
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↓(近鉄京都線)
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桃山御陵前駅
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↓(徒歩5分)
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魚三楼
明和元年(1764)創業の京料理の老舗。
幕末の鳥羽伏見の戦いでは、新選組と薩摩軍が激突し…
店の前の京町通で、銃撃戦が繰り広げられました。
玄関の出格子には、当時の弾痕が残ります。
数ヶ所、横一文字にガガガっと弾痕が刻まれております…
けっこう深いですな…汗
当時の壮絶な激しい戦いを彷彿とさせます。
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↓(徒歩5分)
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伏見奉行所跡
「王政復古の大号令」の後…
「伏見鎮撫」の名目で、幕府は新選組を伏見奉行所へ移動させます。
その直後、近藤勇は伊東甲子太郎派の残党に襲撃されて負傷し…
療養のため大坂城に退きまして、隊の指揮は土方歳三が執りました。
鳥羽伏見の戦いは、翌年1月3日に始まり…
薩長軍が本陣を構えた、御香宮神社は目と鼻の先。
薩摩の近代兵器の前に、会津藩や新選組は惨敗し…
伏見奉行所は炎上します。
実際に…
ブラタモリ風に、伏見奉行所跡から御香宮神社まで歩いてみると…
距離が非常に近く、地形的には御香宮神社のほうが高い位置にあるので…
幕府側にとって不利な状況が分かります。
これで大砲を打ち込まれたら、ひとたまりもありません…
アアア…号泣
現在は、団地の一角に石碑が置いてあります。
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↓(徒歩5分)
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御香宮神社
鳥羽伏見の戦いでは、ここに薩摩軍が本陣を張り… 伏見奉行所に陣取る、新選組らを砲撃しました。
表門は、安土桃山時代の伏見城から移築されたもので…
内閣総理大臣を務めた、佐藤栄作書の「明治維新 伏見の戦跡」などがあり…
なにかと見所が多い神社さんであります!
佐藤栄作さん、達筆ですな~~
歴史好きの方は、是非とも参拝してみて下さい…!
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↓(徒歩15分)
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史蹟 寺田屋・坂本龍馬先生遭難の趾
坂本龍馬は、犬猿の仲でありました薩摩藩と長州藩との間を取り持ち…
「薩長同盟」を結ばせました。
しかし…
その薩長同盟の首謀者として、幕府側に厳重にマークされており…
龍馬を捕まえるため、慶応二年(1866)1月24日未明…
伏見奉行所が寺田屋を襲撃したのが、世に言う「寺田屋事件」であります。
この時いち早く危険を察知しました、入浴中のおりょうさん。
裸のまま2階に駆け上がり、龍馬さんに急を知らせました。
おりょうさん、グッジョブです。
龍馬は…
高杉晋作からもらった、上海土産のピストルで応戦…!
乱闘になりましたが、龍馬が手首に深手を負ってしまったため…
寺田屋を脱出、逃走中に木材屋を見つけて身を隠し…
その後、薩摩藩邸に飛び込み匿ってもらいました。
あ、危なかったァァ…
もう一つの「寺田屋騒動」。
薩摩藩尊皇派が、島津久光の命で粛清された事件も有名です。
当時の寺田屋は、鳥羽伏見の戦いで罹災しており…
現在の建物は、その後再建されたものでありまして…
寺田屋事件を忍ぶ、資料館になっています。
弾痕や刀傷がついた柱があるがよ!
おりょうさんが入っていた風呂桶まで!!
これ本物かね!!?
ハァハァ
当時の建物ではないけれども…
随所にヲタの心をくすぐる、展示の工夫がされてありまして…
龍馬さんへの愛を感じましたね。
幕末ファンなら大興奮間違いなしの、資料館でありました。
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↓(徒歩15分)
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大黒寺
真言宗の寺、大黒寺の通称は「薩摩寺」。
薩摩藩主・島津家の守り神が「出世大黒天」でございまして…
同寺のご本尊と同じだったことから、島津家の祈祷所となったためこう呼ばれました。
薩摩藩と縁が深く、文久2年(1862)の薩摩藩の内紛「寺田屋騒動」にて…
上意討ちとなったり、切腹を命ぜられた…
薩摩藩急進派藩士、有馬新七以下9人が…
「伏見寺田屋殉難九烈士」として、大黒寺に葬られています。
お墓の文字は、西郷隆盛の直筆です。
西郷どんの文字…涙
僭越ながら、深々と合掌させて頂きました。
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↓(徒歩15分)
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丹波橋駅
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↓(京阪本線)
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三条駅
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↓(徒歩15分)
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木戸孝允旧邸
「職員会館かもがわ」という施設の敷地内に…
ひっそりと建っている、古い日本家屋があります。
一見、何の変哲もない小さな日本家屋でありますが…
長州藩の武士で、明治維新の指導者として活躍し…
維新の三英傑の一人とうたわれた…
「木戸孝允(桂小五郎)」が住んだ、別邸の一部だと言われています。
明治政府内で、権力争いが絶え間なかった事や…
多くの問題が原因で、木戸孝允は心身を害し…
京都の出張中に病が重症化しまして、この別邸で療養したと言われています。
過労ストレスや…泣
その際、明治10年(1877)5月19日…
木戸孝允と親しくされていた、明治天皇が公の見舞いにお越しになりました。
当時、民間人の見舞いに自ら出向かれる事は…
前例がなく、大変異例の事でありまして…
今でも、それを示す石碑が残っています。
しかし、木戸孝允は同月の26日に…
明治政府と、かつての志士の仲間を案じる言葉を発したのを最後に…
この別邸で生涯を閉じました。
享年44歳の若さでした。
ちょうどこの頃、九州で西南戦争が繰り広げられていた時です。
西郷さんの事を思い浮かべていたんでしょうか…
まだまだやりたい事がいっぱいあっただろうに…
心配事が山のように積み重なり…
志なかばで逝ってしまった、木戸さんの心情を思うと胸が痛みます。
同時に…
木戸さんの亡くなられた居間を眺め…
悔いのない人生を送らなければ、と勇気を頂いた所存であります。
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↓(徒歩20分)
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坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地碑(近江屋跡)
慶応3年(1867)11月15日夜…
土佐藩御用達の醤油商・近江屋にて…
かくまわれていた坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺されました。
「近江屋事件」です。
現在は…
商店街の一角に、石碑と案内板が置いてあるのみです。
暗殺者は諸説ありますが、京都見廻組説が有力とされています。
首謀者に関しましては、歴史ミステリーとして何度もテレビなどで取り上げられております。
龍馬さんは、なかなか謎多き人物でして…
あの某秘密結社の一員かも?と言われていたり…
近江商人という、潤沢な資金をもった団体がバックにいたり…
龍馬さんの闇は、深いのよ~~
信じるか信じないかはあなた次第!!w
まっことおもしろき人物であります。
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↓(徒歩40分)
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京都駅
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↓(新幹線)
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東京駅
幕末維新の京都旅、無事終了…!
この日は…
伏見にて「鳥羽伏見の戦い」古戦場めぐり…
幕末の史跡が多い、三条~四条界隈を散策してみました!
まだまだ、他にも行きたかった所がいっぱいあります…!
いっぱいありすぎて廻りきれませんw
京都は、いやはや奥深し…
ずっとずっと前から行きたかった…
京都での、新撰組や龍馬さんのゆかりの地をめぐることが出来…
大興奮、大満足の京都の旅でございました…!
改めて、京都の歴史の深さを思い知りましたな…
何度も訪れてみたくなる街、それが京都…!!
では…
3/23(土)にお会いしましょう!
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次回の出勤日は…
3/23(土)15:00~19:00(21:00UP)
4/3(水)15:00~19:00(21:00UP)
4/7(日)15:00~19:00(21:00UP)
です…
もし、お日にち合う方いらっしゃいましたら…
何卒よろしくお願い致します…
(´;ω;`)
では…
小島