『みたよ』を押して下さる皆さま…
いつも、ありがとうございます!!
励みになります…!
皆様…
いかがお過ごしでしょうか…?
本日、お忙しい中…
わざわざお足を運んで下さいました、殿方様…
本当にありがとうございました!
うっとりするような、夢心地のひととき…
あっという間に、過ぎてしまいました…
たくさんのお優しいお心遣いに…
ひたすら感謝、感謝でございます…泣
お別れの時は、とても寂しい気持ちでいっぱいですが…
また、お会い出来ることを願って…!
その日をずっと、楽しみにお待ちしております…!!
前回の続き…
「早春、宮崎@都城の旅」3日目…
この日は…
『都城島津家』ゆかりの地を…
ひたすら歩いて、巡ります…!!
【3日目】
ホテル出発
↓
↓(徒歩20分)
↓
①都城島津邸
「都城島津邸」とは?
都城島津邸を知るには、まずは「都城」と「島津」の関係から。
平安時代に「島津荘(しまづのしょう)」と呼ばれる…
日本最大級の荘園がありました。
鎌倉時代に入り、源頼朝が…
島津荘の下司職(げすしき)
(下司職とは、荘園の管理人のこと)
に任命したのが、惟宗(これむね)忠久という人物。
以降「島津」を名乗る様になりました。
島津忠久は、戦国~幕末維新までの…
歴史に名を知らしめた『島津家の始祖』となります。
その島津荘の中心であったのが『都城』。
これが都城が「島津発祥の地」と呼ばれる所以であります。
ちなみに島津忠久公は、源頼朝と側室の間に生まれたご子息であります。
その後、島津氏は鹿児島県の出水に拠点を移しますが…
室町時代に分家の「北郷(ほんごう)氏」が、都城の地に城を造り…
最盛期には、都城盆地から志布志・内之浦までを治める広がりをみせました。
江戸時代に入ると、本家の命により「島津」を名乗り…
「都城島津家」として、さまざまな功績を残しました。
その都城島津家が…
明治12年(1879)以降に住んだ邸宅が…
この『都城島津邸』。
広さ約5000坪の敷地内に…
都城市指定有形文化財の「御門」「本宅」「石蔵」「外蔵」「剣道場」のほか…
島津家より寄贈を受けた…
都城島津家史料を保存・展示する『都城島津伝承館』などがあります。
『都城島津伝承館』で…
まず、都城島津家の歴史をお勉強。
お宝級の史料だらけで、見所いっぱいです…!
歴史ファンには、もうたまりません。
ゆっくり見ていたら、あっという間に時間が過ぎてしまった…
『都城島津伝承館』だけで、もう2時間居座ってしもうたよ…
いちばん印象に残ったのは…
昭和天皇が宿泊した『本宅』であります。
『都城島津邸』は…
一時、鹿児島に移っていた…
都城島津家26代当主の島津久寛のときに建てられたもの。
昭和10年の陸軍大演習が都城で行われた際に…
閑院宮の宿泊に備えて、大きく改築をしました。
また、昭和48年(1973)の全国植樹祭に…
宮崎県小林市を訪れた、昭和天皇皇后両陛下の宿泊に備え…
昭和47年にも改築が行われ、現在の形になりました。
今も、両陛下が宿泊された部屋や浴室…
休憩室やご使用になった、道具類が保存されています。
なんとも趣深い、ロイヤルでクラシカルな空間。
心ときめいてしまいますね~~
何と言っても、洗面所とドレッサーがオシャレ過ぎるう…
こんな素敵な所で、身支度出来たら…
背筋がピーンなって、お行儀の良いレディになれそうじゃのう…
ひとつひとつの調度品が、格調高くて素晴らしいです。
お手入れの行き届いた、美しい日本庭園もあり…
歴史好きでなくとも、本宅と日本庭園は必見です…!!
平安から脈々とつづく島津の歴史と…
宮家の人々をもてなしてきた、都城島津家の邸宅の雰囲気を…
思う存分、たっぷり味わうことが出来ました…!
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↓(徒歩35分)
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②都城島津家菩提寺(長城山龍峯寺跡)
龍峯寺跡に残された、都城島津氏の墓所です。
龍峯寺(明治初期の廃仏毀釈で廃寺)は…
室町末期ごろ、都城領主・第八代『北郷讃岐守忠相』が…
母堂『松庵妙椿大姉』の菩提供養のために建立し…
起宗守興和尚によって、開山されました。
以後、島津家の墓所となっています。
都城島津氏の墓所があるということで、訪れてみましたが…
墓所は…
老朽化なのか、災害なのか分かりませんが…
だいぶ崩れてしまっていて、立ち入り禁止になってました…
ブルーシートが、なんだか痛々しい…泣
なんとか早めに修復されるよう、祈るばかりです。
↓
↓(徒歩15分)
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③都城歴史資料館
「都城」の由来となった城跡に建つ資料館。
『都城歴史資料館』は…
郷土に残る、歴史・文化資料の保存・展示・活用を目的に開館しました。
貴重な古文書や刀剣などの美術品…
発掘調査で見つかった出土品、民俗芸能関連の資料などを展示しています。
都城盆地を一望する、中世城郭「都城」の城跡に建てられており…
立派なお城のような外観ですが、内部は資料館になっています。
内部は吹き抜けになっており、木造の雰囲気で建物はとても綺麗です。
こちらの資料館は…
旧石器時代から平成までの、都城の歴史を網羅しているので…
都城島津家以外の歴史も、深く知りたい方にオススメです。
敷地内は、空堀や土塁などが残っていて…
中世城郭の遺構を見ることが出来ます。
南九州の城郭は基本的に、石垣よりも土で形成されたお城が多数。
なかなか通好みの城跡でありまして…
お城マニアとしましては、なんちゃってお城風資料館の外観よりも…
こういう、土塁とか物見櫓跡の方が興奮しちゃいますね。
マニアックですみません…
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↓(徒歩25分)
↓
西都城駅
↓
↓(JR日豊本線)
↓
山之口駅
↓
↓(徒歩1時間50分)
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④島津寒天工場跡
財政立て直しで寒天を製造。
江戸時代末期…
薩摩藩は、厳しい財政難に悩まされていました。
藩の家老で、財政改革を行っていた『調所広郷』は…
指宿の豪商『浜崎太平次』と諮り…
この地に『寒天製造工場』を設置したと伝わっています。
寒天の原料となる、天草は…
甑島を中心に、薩摩西海岸から運ばれ…
天草を煮る、窯の大きさは…
直径130センチメートル、高さ180センチメートルほどでした。
寒天となった製品は、わざわざ広島の福山に運ばれ…
更に大阪、長崎を経由し…
中国やロシアに密輸されていました。
寒天製造の最盛期は…
安政元年(1854)から、明治四年(1871)頃までで…
監督者や技術者は、鹿児島から派遣され…
従業員は指宿、伊集院、伊作などから出稼ぎが約80名…
地元採用で約50名で、あわせて約120~130名であったといわれています。
この地を選んだ理由は…
寒天製造に適した自然条件を備えていたということと…
幕府の役人の目を避けるためであったともいわれています。
なぜか、どうしても来てみたかった『島津寒天工場跡』笑
かな〜り山奥まで来てしまいました。
こんな山奥まで来なければならなかったということは…
薩摩藩は、相当ヤバいことをやっていたということでは…
寒天という名のヤバいブツ…笑
工事跡は、焼物の窯跡に似てるかも…
屈強な薩摩隼人たちが、よいこらせっせと寒天を作ってる情景を想像してしまいます。
ひっそりとした山奥で、藩の財政を陰ながら支えていた寒天工場。
もしかしたら、明治維新の知る人ぞ知る影の立役者かも…?
薩摩藩の知られざる秘密を、実際にこの目に焼き付けることが出来…
ここまで歩いてきた甲斐がありました…!
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↓(1時間50分)
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⑤列車待ちのため、駅近くの居酒屋さんで晩酌
都城行きの列車待ちの為…
山之口駅近くの居酒屋さんで、休憩も兼ねて立ち寄ってみました。
お店の名前は、おもいっきり和風なのに…
中に入りますと、レゲエ風のパリピな居酒屋さんでした笑
サーファー風の明るくて面白い大将と、美人な女将さん!
ひとまず、都城限定・黒霧島と…
やっぱり九州に来たなら『鳥刺し』は食べておかないと…!
いや〜〜
やっぱり鳥刺しと焼酎は合うね〜〜
実に美味し、鉄板であります。
本来、列車待ちの1時間の滞在の予定が…
お料理も美味しくて、お店が楽し過ぎて…
もう1本列車をやりすごしてもうた。
結局、2時間以上居座ってましたな。
う〜ん、もう少し居たかったけど残念…!
後ろ髪をひかれながら、お店を後にいたしました。
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↓(徒歩3分)
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山之口駅
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↓(JR日豊本線)
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西都城駅
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↓(徒歩10分)
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ホテルに戻って、風呂入って寝る
「早春、宮崎@都城の旅」3日目終了…!
この日は…
テーマを『都城島津家』に絞って…
ひたすら巡ってみました!
またまたマニアックな内容になってしまいまして…
大変申し訳ございません…
島津寒天工場跡から、山之口駅方面に向かう途中…
ワンちゃんと散歩中の、地元マダムと遭遇しました…
どっから歩いてきたのと聞かれたので…
島津寒天工場跡に行って帰ってきました、と言うたら…
普通にドン引きしてました…
怖がらせて、本当にスミマセン…
ご自宅のお庭で飼ってるヤギさんと、しばし遊ばせてもらいました…
ヤギさん、人懐こくて可愛かったです…
次回は…
神武天皇のふるさと…!
『高原町』に向かいます…!!
では…
4/18(土)にお会いしましょう!
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次回の出勤日
4/18(土)15:00~19:00(21:00UP)★15:00~、一番枠のみ◎
4/26(日)15:00~19:00(21:00UP)★15:00~、一番枠のみ◎
5/2(土)15:00~19:00(21:00UP)★19:00~、ラスト枠のみ◎
です…
もし、お日にち合う方いらっしゃいましたら…
何卒よろしくお願い致します…
(´;ω;`)
では…
小島